2026/10/01

「祭りのない時間を、どうつなぐか」

志多伯伝統文化保存会:神谷武史氏

 

志多伯・神谷武史さんが語る、地域芸能を守り続けるということ

伝統芸能は、祭りの日だけで守られているわけではない。
人を集め、稽古の日程を決め、子どもたちに声をかける。衣装や道具を手入れし、古老から話を聞き、記録を残す。本番を迎えるまでの、外からは見えにくい時間。その積み重ねによって、地域の芸能は次の世代へ手渡されている。八重瀬町字志多伯で生まれ育ち、琉球芸能の実演家として活動する神谷武史さんも、長年その時間をつないできた一人だ。

神谷さんの話から見えてきたのは、芸能を「昔のまま残す」ことだけではない。今を生きる人たちが関わり続けられる形をつくり、次の担い手が入ってこられる余白を残すこと。それもまた、地域芸能を守ることなのだと思う。

 

■最大12年。祭りのない時間をつなぐ

八重瀬町字志多伯は、サトウキビやオクラなどの農業が盛んな地域だ。

旧暦8月15日には、五穀豊穣や無病息災を願う祭祀が行われる。その中心にいるのが、村の守り神として大切に祀られている「獅子加那志(シーシガナシ)」だ。志多伯の大きな豊年祭は毎年開かれるわけではない。人の法要と同じように、1年忌、3年忌、7年忌、13年忌、25年忌、33年忌という節目に行われる。開催の間隔が最も長い時には、12年もの空白が生まれる。

「小学一年生だった子が、高校を卒業するまで豊年祭がないこともあります。何もしなければ、次の祭りを迎える時には、演じる人も教える人も残っていないかもしれません。」

祭りの開催間隔が長い地域にとって、この問題は切実だ。
本番がなければ、稽古を続ける理由を見つけにくい。子どもたちが芸能に触れる機会も少なくなり、地域に芸能があることさえ知らない世代が生まれてしまう。保存会があっても、活動する人がいなければ続かない。記録が残っていても、それを演じる人がいなければ、生きた芸能としては受け継がれない。だからこそ、祭りのない時間に何をするかが大切になる。

 

■高校一年生が抱いた危機感

神谷さんが地域芸能の継承に深く関わるきっかけとなったのは、高校一年生の時に出演した13年忌の豊年祭だった。当時は野球部に所属し、幼い頃から空手にも取り組んでいた。豊年祭で組踊や舞踊に加わったことから、琉球芸能の面白さに引き込まれていった。しかし、祭りが終わった後に残ったのは、楽しさだけではなかった。

「次の豊年祭まで12年ある。このままだと、次に祭りをする時には人が残っていないかもしれない。高校生なりに、そう思ったんです。」

神谷さんは地域の中学生や高校生に声をかけ、若い世代による活動を始めた。それが後の志多伯獅子舞棒術保存会につながっていく。さらに、獅子舞や棒術だけでなく、豊年祭で披露されるさまざまな芸能を受け継ぐ活動も始まった。祭りがない間も練習を続け、地域外の舞台に出演する。教材や映像を作り、子どもたちが参加できる活動を行う。次の豊年祭を待つのではなく、自分たちで発表の機会をつくりながら、空白を埋めていった。

 

■芸能を残す前に、人が残らなければならない

地域芸能の継承では、「昔からの形を変えてはいけない」という考え方が大切にされる。
受け継がれてきた型や意味を守ることは、もちろん必要だ。
一方で、神谷さんは、形を残すことだけに意識が向きすぎると、実際に担う人が続かなくなることを心配している。

「今やっている人たちの気持ちが続かなければ、芸能そのものがなくなってしまいます。大きく変える必要はないけれど、若い人たちが“かっこいい”“自分もやってみたい”と思える見せ方は必要だと思います。」

守ることと、変えること。

地域芸能に関わる人の多くが、その間で悩んでいる。どこまで変えてよいのか。何を変えてはいけないのか。昔の形を知る人が少なくなる中で、誰が判断するのか。簡単に答えが出る問題ではない。

それでも、神谷さんの話から一つ言えるのは、「続ける人の気持ち」もまた、守るべきものだということだ。演じる人が誇りを持てること。子どもたちが面白いと思えること。地域の外で披露し、評価される機会があること。それらが次の稽古へ向かう力になり、結果として芸能を未来へつないでいく。

 

■昔の暮らしを、体で覚える

志多伯に伝わる演目には、地域の昔の暮らしが残されている。
水道がなかった時代に水を汲んで運ぶ姿。人々が力を合わせて畑を耕す様子。実りへの感謝や、次の季節の豊作を願う気持ち。今の子どもたちは、川から生活用水を汲んだ経験も、集落総出で農作業をした経験もない。だから神谷さんは、振りや所作だけを教えるのではなく、動きが生まれた背景も伝えるようにしている。

「実際に水を汲いだことがなくても、水の重さや、水がどれだけ大切だったかを想像することはできます。昔はどんな暮らしをしていて、それがどう踊りになったのか。そこまで伝えることが大事だと思っています。」

踊りは、昔の生活を体で読み解くものでもある。
歌や所作には、厳しい時代を生き抜いてきた人々の知恵や、地域で助け合ってきた記憶が残されている。

「もしライフラインが止まり、自分たちで水や食べ物を確保しなければならない状況になった時、踊りの中に残された知恵が役立つかもしれない。僕は、芸能の中には“生きる力”や“生きる術”が隠されていると思っています。」

地域芸能は、過去を懐かしむだけのものではない。先人が何を大切にし、どう生きてきたのかを、歌や踊りを通して受け取る。いわば、体で学ぶ地域の教科書でもある。

 

■本物を使わずに、本物の重さを伝える

獅子加那志は、普段は地域の拝所に納められている。誰でも自由に出したり、触れたりできるものではない。
現在の獅子加那志は戦後間もない時期に作られたもので、顔はデイゴの木から彫られ、たてがみには馬の尻尾、胴体には糸芭蕉の繊維が使われている。

製作に関わった人たちはすでにおらず、当時の作り方や苦労を直接聞くことはできない。
そこで保存会では、獅子のレプリカを製作した。頭は木彫刻師の仲宗根正廣氏に依頼し、胴体の毛付けは仲宗根氏の指導のもと、区民で取り組んだ。

「仲宗根氏は、志多伯豊年祭当日、獅子加那志の下あごが破損して、演舞できない状態を応急処置し、窮地を救ってくれた志多伯の恩人です。」

沖縄県内の獅子製作を手掛けられ人材も不足している。物とひと、並行して考える必要がある。本物を祭り以外で使わないという決まりを守りながら、素材に触れ、製作の手間を体験し、修繕する技術を身につけるためだ。

「自分たちで作ってみると、どれだけ手間がかかっているかが分かります。それが、獅子加那志を大切にする気持ちにもつながります。」

大切なものを守って保管するだけでなく、その背景にある技術や思いを体験できる形にする。これも、地域芸能を次世代へ伝える一つの方法だ。

 

■地域の外へ出ることが、誇りを育てる

神谷さんは、地域芸能を地域の中だけにとどめないことも大切にしている。
自身も琉球舞踊、空手、獅子舞、棒術などを通して国内外の舞台に立ってきた。海外で演じる中で感じたのは、文化は言葉の違いを越えられるということだった。旧暦15日の満月、豊かな実りへの祈り、獅子への信仰、命の誕生を祝う気持ち。形は違っても、世界各地の文化には共通するものがある。

「海外で披露すると、言葉が通じなくても共感してもらえるんです。自分たちの地域にも同じような祭りがある、と話してくれる人もいます。」

地域の芸能を持って外へ出ることで、初めて自分たちの文化の価値に気づくこともある。
観光客として行くのではなく、地域を代表する演者として舞台に立つ。責任を持って芸能を披露し、観客から拍手を受ける。その経験は、技術だけでなく、地域への誇りも育てていく。

神谷さんは、これからの子どもたちにも、地域の芸能を持って県外や海外へ出てほしいと考えている。そして外で得た経験を、また次の子どもたちへ返してほしいと願っている。

 

■守っているのは、芸能だけではない

「私にとって志多伯は、芸能の道へ進む機会を与えてくれた場所です。人生の岐路と言ってもいい。ここが自分の原点です。」

高校時代に豊年祭へ参加したことが、神谷さんの人生を大きく変えた。
新聞配達をしながら稽古を続け、自分で費用を工面して芸能を学び、やがて実演家としてさまざまな舞台に立つようになった。

地域の祭りには、一人の人生を変える力がある。

出演したことをきっかけに芸能を始める人がいる。裏方として地域に関わる人がいる。親子で参加し、家族の会話が生まれることもある。芸能を守ることは、演目を残すことだけではない。
人と人とのつながりや、地域に自分の居場所があるという感覚、何かに夢中になるきっかけも守っている。

「豊年祭は、僕に芸能の道へ進むチャンスを与えてくれました。でも、そのチャンスは僕だけのものではありません。誰でも関わることができる祭りだからこそ、次の世代にも同じような機会を残したいんです。」

 

■何もない時間ではなく、次を育てる時間へ

豊年祭が終わった後、次の祭りまでは長い時間がある。
その時間を空白にするのか。それとも、次の担い手を育てる時間にするのか。
練習を続ける。子どもたちに声をかける。道具を直す。記録を残す。地域外の舞台に立つ。そして、これまで関心のなかった人にも芸能を見てもらう。

一つひとつは、決して華やかな活動ではない。
しかし、その積み重ねがなければ、次の祭りの日はやってこない。

地域芸能を守っている人たちは、過去の形だけを保存しているのではない。
人を育て、関係をつなぎ、次に参加する人の入口をつくっている。

祭りのない時間を、次の祭りを育てる時間に変えていく。

志多伯の取り組みは、同じような課題を抱えながら地域芸能を守り続ける人たちにとって、一つの希望になるのではないだろうか。